彼女の記録 作・葉月まな(2020.04.02更新) 古川ミキ(こがわみき)・・・大学4年生。演劇科。 伊藤カナコ(いとうかなこ)・・・ミキの同級生。同じく演劇科。 ※カナコ「ミキって意外と鼻声なんだ」というセリフがありますが  ミキ役の演者さんにあわせて変えてもらって構いません カナコ  もしもし…? ミキ   もしもし、カナコ? カナコ  (ひっそりと息を飲む)…そうだよ、どうしたのいきなり ミキ    ああ、えっと―― カナコ  電話 ミキ   ん? カナコ  電話なんて初めてするね ミキ   …まあね カナコ  なんか変 ミキ   ちょっとわかるけど カナコ  ミキって意外と鼻声なんだ ミキ   はあ?あんたはいつでもうるさいな カナコ  そんなことないよ      気まずい間。 カナコ  ……それで、どうしたの? ミキ   うん。あたしさ カナコ  うん ミキ   いま青森にいんの カナコ  …うん ミキ   青森の、病院 カナコ  へえ ミキ   だから、電話 カナコ  まあ、知ってたけどね ミキ   だろうね カナコ  でも電話使えるようになったのは初耳 ミキ   どんな風に言われてんだろ カナコ  わかんない、わたしそういうの疎いし ミキ   ぽい。あんた気にしなさそうだもん カナコ  そういうとこはあるかも ミキ   で、さ。お願いがあんの カナコ  お願いって(少し笑う) ミキ   なによ カナコ  似合わないね、ミキちゃんに。お願いって ミキ   うるさい(なんとなく微笑む) カナコ  ごめんごめん、キャラ的にね ミキ   いいから聞いてよ カナコ  そうだった、お願いねお願い ミキ   なんか、調子狂うなあ カナコ  早くいってよ ミキ   あんたが(くだらないこと言うからでしょ、) カナコ  (遮る)で?   間 ミキ   ………あたしのこと、書いて。 カナコ  え? ミキ   今のあたしのこと、全部。   間 カナコ  …わたしが?書くの? ミキ   そう カナコ  えっと、 ミキ   戯曲 カナコ  だよね ミキ   それしかないでしょ カナコ  …書いたことないけど、戯曲なんて ミキ   んなこと知ってるよ カナコ  だよね ミキ   …そのまま、書いてくれたらいい カナコ  ……   間 ミキ   あんたがいいの。いいよって言うまで毎日電話するから カナコ  毎日って、冗談きついな ミキ   本気だよ   間 ミキ   本気 カナコ  …こういうのって、自分で書くもんじゃないの ミキ   ほんとはね   少しの間 カナコ  ……まあ、   ためらいがちに、けれどしっかりと前を見て口を開く カナコ  いいよ   少しの間 ミキ   そう言ってくれると思ってた カナコ  なんで? ミキ   さあ カナコ  適当だな ミキ   でも、本当にあんたがよかったの カナコ  そっか ミキ   よかった、なんか緊張した。カナコ相手なのに カナコ  なにそれ ミキ   断られたら死んでたかも カナコ  毎日電話かけるんじゃなかったの? ミキ   そんな元気ないわ、さすがに カナコ  死んでたって ミキ   あはは、笑えないよね カナコ  ま、笑うけどねわたしは ミキ   ひっど カナコ  それくらいのがいいでしょ。こんなことで死んだの?って ミキ   あんたはね。それくらいがいい カナコ  えー?ツッコミ待ちだったのに ミキ   あんたなら言いかねないもん カナコ  どんなイメージ? ミキ   わかんないけど、だからカナコにしたんだと思う。わかんないけどね カナコ  変なの ミキ   あんたがね カナコ  なんかさ、アスカちゃんとか心配してたよ。ミキちゃんいつ帰ってくるんだって ミキ   ああ カナコ  5月の、結局降板なんでしょ? ミキ   こっから出してもらえないしね カナコ  そりゃそうだよね ミキ   ……… カナコ  ま、でもフツーに生きててよかった ミキ   そんな簡単に死なないし カナコ  そっか ミキ   ていうか、死なせてもらえない カナコ  ふーん ミキ   拘束具、つけられんだよ。やばくない? カナコ  拘束? ミキ   すっごい力で看護師さんに抑えられてさ、3人くらいで、ベッドに。      こっちも必死に抵抗するんだけど全然ダメ。向こうプロだからさ カナコ  えー、平台(ひらだい)軽々持てるミキちゃんが? ミキ   それは持てないあんたが非力なだけだから カナコ  力ずくで抑えられるって、なんかすごいね ミキ   全力だからねこっちも。逃げ出すために カナコ  ふふ ミキ   なんか、……犯罪者にでもなった気持ち   間 ミキ   …こんなところに閉じ込められて   間。秒針の音がやけに耳につく。 ミキ   ドアがね カナコ  うん ミキ   こっちから開かないようになってんの。ちゃんと カナコ  鍵がかかってるってこと? ミキ   ドアノブがないの カナコ  え? ミキ   こっち側にはね、ドアノブないんだ。変でしょ カナコ  ドアじゃないじゃんそんなの ミキ   病室じゃないんだよここ。檻なの。気が狂った人間を閉じ込めておく檻 カナコ  …… ミキ   あたしのこと抑えつけるときのさ、看護師さんの目。無だもん。同じ人間をみる目じゃない カナコ  ……あの、ミキちゃん ミキ   なに? カナコ  …録音してもいい? ミキ   え? カナコ  書くんでしょ ミキ   ああ カナコ  ほんとに、そのまま書くからね。わたしそれしかできないから ミキ   それでいい カナコ  ……うん ミキ   それがいい カナコ  ……オッケー。電話ってどうやったら録音できるんだろ ミキ   画面録画は? カナコ  んー、調べる。ちょっと待って      カナコ、ぼそぼそつぶやきながらやり方を調べはじめる。少しの間無言が続く。 カナコ  お待たせ ミキ   ん カナコ  じゃ、録るよ ミキ   カナコ カナコ  なに? ミキ   ありがとね カナコ  まだなんにもしてないけど ミキ   いや。あんたでよかったわ カナコ  なにそれ。録るよ? ミキ   ん カナコ  …はい。録ってまーす? ミキ   あはは カナコ  変な感じ ミキ   事情聴取みたい カナコ  さっきからやたら犯罪者になりたがるじゃん ミキ   そういう気分にもなるよ、ここにいたら カナコ  …あー、さっきの、もっかい話して。記録用に ミキ   あー、えっと、なんの話だっけ カナコ  拘束具と、ドアの話 カナコ  その夜、ミキちゃんから数枚の画像が送られてきた。病室の写真と、拘束具のあとがついた腕の写真。      昼間録音したデータをパソコンに送る。USBに保存。再生   ミキとの会話が再生される。    ミキ   向こうからしたら動物みたいなもんなんだろうな カナコ  動物? ミキ   うん。そんな目してる カナコ  まあ、仕事だからね。麻痺するんじゃない ミキ   すんのかな カナコ  わかんないけど ミキ   自分と同じくらいの人間がさ、悲鳴あげて、暴れてんの。ずっと。すごい光景でしょ カナコ  …あー、みたことないから ミキ   いや、ヤバいよ。自分でも思うもん。こうやってるときはね カナコ  そういうものなの? ミキ   あたしはね。っていうか、今は?うーん カナコ  なんか、フツーだもんね ミキ   でしょ? カナコ  セーシンビョーインにいる人ってもっとヤバいイメージだもん ミキ   まあね。こういう、なんだろう、フツーのときしか話せないって感じ、かな カナコ  わたしが知ってるミキちゃんは、色白で、やわらかそうで、      特別かわいいとか愛嬌があるかといわれればそうでもなくて、      結構乱暴な物言いとかするようなそんな子で、でも甘え上手でみんなに愛されてる。      先輩にも、後輩にも、先生にも。      とくに年上の人と仲良くなるのがうまくて。      愛されるように振舞うのが上手い彼女は、わたしからしたらなんだか羨ましくて。      嫌いじゃないけど、すごく好きでもない。      なんとなく、何回か同じ公演に出たことがある。そのくらいの感じで、 ミキ   どこで知り合ったんだっけ、そもそも カナコ  覚えてないの?! ミキ   は?めんどくさ カナコ  オーディション ミキ   ああ カナコ  大学入って一番はじめのオーディション! ミキ   思いだした思いだした カナコ  ミキちゃんから声かけてきたのに ミキ   そうだっけ? カナコ  マジでなんにも覚えてないんだ? ミキ   なんか話したなくらいは覚えてるけど カナコ  はあ〜? ミキ   可愛い子のことしか覚えらんないから。サクラバがいたことは覚えてんだけどなあ カナコ  わたしは? ミキ   いまいち カナコ  終わったあと、ご飯いったじゃん。駅前の ミキ   あ!パスタ? カナコ  そう! ミキ   あ〜、行ったかも カナコ  パスタしか覚えてないの? ミキ   うーん、あのときイタトマはじめて食べたから カナコ  イタトマなんてわたしの地元でもあったよ ミキ   うるさい カナコ  冷たいよなあ、ミキちゃんは ミキ   ミキ、なあ カナコ  なによ ミキ   名前で呼んでくんの、親とあんただけだなーって カナコ  あー、確かに ミキ   嫌いなんだよね、ミキ。ぽくないじゃん カナコ  んー? ミキ   コガワのが呼ばれ慣れてるし カナコ  珍しいしね ミキ   最初、やだったなあ カナコ  え?そうなの? ミキ   は?言ったよあたし カナコ  そうだったっけ ミキ   でも拒否された。覚えてないでしょ? カナコ  あんまり ミキ   カナコもたいしてあたしのこと覚えてないじゃん カナコ  え、ほんとに言った?そんなこと ミキ   言った、絶対言った。下の名前やめてって カナコ  うーん ミキ   記憶にない? カナコ  記憶力だけはいいんだけどな ミキ   ま、いいけど。もう慣れたし カナコ  みんなにたいして名前呼びだからさあ ミキ   はいはい カナコ  わたしのなかではミキちゃんって感じなんだけど ミキ   どこがよ カナコ  えー?最初からミキちゃんはミキちゃんだし ミキ   出た、意味わかんないやつ カナコ  ミキちゃんの家には、お母さんが1人とお兄ちゃんが1人。      お兄ちゃんとは数年前から連絡がとれないらしい。      お父さんはミキちゃんが小学校の頃に交通事故で亡くなった。      仲の良い、というよりは少々依存気味なお母さんにたいして、ミキちゃんはとてもキツく接する。      お母さん、とは呼ばずに、「あの人」と呼んでいたのを今でも覚えている。      ミキちゃんが出る公演には必ず青森から見に来て、      手作りのお菓子を差し入れてくれる、ミキちゃんのお母さん。      いつも手紙が添えられていて、すこし角ばった、丁寧な文字だったのを覚えている。   ファミレス。病院から帰ってきたミキと数ヶ月ぶりに会う。 ミキ   あの人さー、泣くんだよね カナコ  そりゃあ泣くよ。娘がさ、あんなことになったんだから ミキ   そうだけど。もうずーっと家にいんの。ほんっとしんどいわ。監視されてるみたいでさ カナコ  ていうか、意外と早く戻ってこれたね ミキ   まだこっちの先生のとこには通わなきゃだけど、とりあえずね。いい子にしてたらすーぐ解放された カナコ  よかったじゃん、檻脱出 ミキ   脱出脱出 カナコ  安心したわ、なんか ミキ   なんで、死ぬかもとか思ってた? カナコ  一応ね ミキ   ま、全部本気だからね   少しの間 ミキ   毎回本気で死のうと思ってたから カナコ  …でも、病院だと拘束されてるしドア開かないし、無理じゃない? ミキ   まあねえ カナコ  だよね ミキ   でも1回 カナコ  ん? ミキ   ほんとにヤバかったとき、着てるTシャツさ、なんとか脱いで。      もーそれもどうやったのか覚えてないんだけど。必死すぎて カナコ  うん ミキ   で、それ首いれたままベッドのとこにかけて、どうにかしようとしたことある カナコ  ……へえ ミキ   結局すぐ人がきてダメだったんだけどね カナコ  …なんか、こうやって聞くと現実味あるね ミキ   え? ……ああ、ずっと電話だったからね カナコ  うん。お腹減ったーみたいな顔して言うから、なんかバグる ミキ   あはは。まあでも、お腹減ったーと同じくらいの感覚で死にたいって思ってんだよね      少しの間。周りの音がやけに大きく聞こえる。 ミキ   ――あそこにいるとさ、段々頭がおかしくなっていくんだよね。      はじめはさ、全然大したことなかったと思うんだよね、あたしだって。      ちょっとしんどいことあって、糸がきれた、みたいな。それくらい。      でもさ、夜。何時かもわかんないけど、電気消されて真っ暗ななかさ、声が聞こえんの。      ほかの病室からさ、なにいってんのかもわかんないような叫び声が。たくさん。      そうやってさ、なにかがひとつひとつ壊れていくんだろうなって思うよ。      もう、戻れないんだなって カナコ  わたしから見たミキちゃんは、すこし痩せた以外は全然変わって見えなかった。      みんなが急に連絡がとれないと騒ぎだす前の、青森に旅公演に出る前のミキちゃんと違うところなんて      なにひとつ見つからなかったように思えた。      そんなことないよと言ったのは、本当にそう思ったから言ったんだけど      そのあとミキちゃんはまたすぐに青森に連れ戻されて、同じ病院に閉じ込められることになる ミキ   あ、あとアレもどっかにいれてほしいんだよね、えーっと、 カナコ  なに? ミキ   カナコって、ヤマナカさんって会ったことあったっけ? カナコ  あー、ミキちゃんの、あの、何個だっけ、結構上の? ミキ   そうそうそう、結構老け顔の カナコ  あー、えっ、ていうかヤマナカさん! ミキ   うん カナコ  えっ、なにしてんの?こんな緊急事態に ミキ   あー カナコ  彼氏じゃん!こういうときこそじゃないの? ミキ   うん、その話 カナコ  え? ミキ   今から話すから、どっかに入れて カナコ  あ、オッケー… ミキ   最初さ、病院じゃなくって実家にいたっていったじゃん カナコ  うん、ひとまず入院じゃなくて ミキ   そう。そのときにね、結構毎日、きてくれてた。それでちょっと、救われてたところもあった。たぶん。      でもこういうのって発作、みたいな?落ち着いてきたと思ったら急にくるんだよね。      もう大丈夫かなって思って、ふたりでちょっとドライブしてさ。      普通に、なんにもなかったみたいに。なんか、デートみたいな。そんな感じで。 カナコ  うん ミキ   なんかの拍子に、よかった、大丈夫そうだねって。ヤマナカさんがいったの。      そしたらなんか急に、ぐわっときて。なんであんたがそんなこと言うんだって。      だってあんた、あたしと同じ場にいたのに助けてくれなかったじゃんって。守ってくれなかったじゃんって。      あたしが蔑ろにされて、笑われてんのただ見てたじゃんって、      もう、なんか止まんなくなっちゃって。      そうなってる時ってもうすごいからさ、ドアあけて、無理やり降りて… カナコ  …… ミキ   そしたら、あー、追いかけてきて、くれた、んだよね。うん。      で、なんか結構強い力でひっつかまれてさ、よくわかんないけど近くにあったラブホまで連れてかれて。      あたしその間も、なんかもうずっと、泣いてて。      なにが悲しいとかじゃないんだけど、死にたい死にたいってずっと叫んで、      どうにかして自分で首絞めようとしては止められて カナコ  ……うん ミキ   で、さあ。そんなこと何回も何回も繰り返して、もう段々なんだかわかんなくなってきて。      泣きすぎて頭がボーッとしてきた頃に、急にヤマナカさんがあたしの首に手をかけてさ カナコ  え? ミキ   そんなに死にたいなら、死のう、ミキって カナコ  ……   間 ミキ   あー、久しぶりにミキって呼ばれたなあ。      久しぶりに正面から顔見たなーとか思ってたら、息、できなくて。意識飛びそうになって、 カナコ  うん ミキ   ……でも、できなかった。ヤマナカさんにはできなかったんだよね カナコ  うん…… ミキ   咳き込むあたしに、泣きながら何度も謝ってた。いい年したおじさんなのに。 カナコ  38だっけ ミキ   うん。もう40のおじさんがよ。わんわん泣いててさ      少しの間 ミキ   殺してやるのが愛だと思った、って言われたよ。そう思ったけど、できなかったって カナコ  愛…… ミキ   電話でね カナコ  え? ミキ   そのあとすぐ病院にいれられて、ヤマナカさんとは会ってない。1回もこなかった。 ここにきて、1週間くらいしてからかな。電話で、謝られたよ。すごく カナコ  そうだったんだ、知らなかった ミキ   うん。なんか、これだけは。なんだろう、なんか、話すのしんどくてさ カナコ  そうだよね ミキ   でも、もう大丈夫かなって カナコ  そう、ならよかった   間 ミキ   …あの人さ カナコ  うん? ミキ   あたしの絵、描いてた カナコ  絵……? ミキ   うん。ウサギが首つりしてる絵。Facebookで見た      少しの間 ミキ   ああそうだ、あたしこの人の才能に惚れてたんだよな、って。出会ったばっかりのこと、思いだしたよ カナコ  ……そっか      沈黙 カナコ  明日、あたしの家に置いてあるノートをとってきてほしい。どうしても必要なんだ。      途中まで書いた図面とか、病室の寸法とか、そういうものをメモしたノート。      そろそろ詰めて考えなきゃね。できるだけ忠実にしたいんだ。      あんなこと話した後に、ミキちゃんがカラッとした声でそんなことをいうから、      わたしは駅から20分も歩く、小さなアパートにやってきた。暑いのに。      なんでも、鍵は入口近くにある植木鉢の下にあるらしい。      田舎でもあるまいし、この大都会東京でそんなところに鍵を置いておく不用心な人間なんてミキちゃんしかいないだろう。       カナコ  ……ほんとにあるし。まあ、なかったら困るんだけど      にしても久しぶりだな、このオンボロアパート。さすが家賃2万円……      ぼそぼそとつぶやきながら、カナコ、扉を開ける    カナコ  ! カナコ  築50数年の木造アパート。      六畳一間の決して広いとは言えないその部屋に、見覚えのないロープが垂れ下がっていた。            力がなくその場に座り込むカナコ。 カナコ  いや、賃貸……だし…………思いっきり……うん…   少しの間。何度か深呼吸をする。 カナコ  (言い聞かせるように)大丈夫、今はだいぶん元気だし、大丈夫、だって、うん、ミキちゃんは今、青森だし      病院だったらそんな簡単にしねないって言ってたし… カナコ  やっぱりダメだ…アレ聞こう。一旦落ち着こう…   微かに震える指でスマートフォンを操作する。イヤフォンをつけて、深呼吸をしながら再生ボタンを押す。 ミキ   ――しばらくヤバかったけど、でもね。これ、舞台にしてやるって。絶対東京戻って上演してやるって思ったら、思ったらさ カナコ  うん ミキ   なんか…スッとした。胸の奥が カナコ  楽になった? ミキ   うん   ミキ、愛おしそうに微笑む。 ミキ   あたしはさ、…これで食べてやるんだって、ずっと頑張ってさ、いろいろやってきたけど。      ああ、あたし、ただ好きなんだなって。舞台、好きなんだってこと、思いだした。      高校生の頃、あの人が教えてくれたことだったなあ。舞台っておもしろいんだって。こんなにすごいんだぞって。      そんな単純なこと、忘れてたんだなあ カナコ  ずっとやってると、好きよりもやらなきゃいけないことが増えてくるもんね ミキ   ね。売れる売れないとかね カナコ  そういうくだらないことにばっかりとらわれちゃうよね。生きていかなきゃいけないしさ ミキ   うん。でも、あのとき確かにあたしは、舞台に救われたんだと思う。間違いなく カナコ  舞台に殺されて、舞台に救われるって、なんか… ミキ   なんかね カナコ  なんかなあ ミキ   でも、そう思ったらさ、ムカつく看護師とか地獄みたいなこの病室とか全部、全部。おもしろいなって思えてさ カナコ  軽くなった? ミキ   うん、絶対生きて――   突然、カナコの電話に着信が入る。そこには見たことのない番号。   少し不審に思いながらも電話に出るカナコ。 カナコ  …はい。はい、そうです。伊藤です。伊藤カナコ……   間 カナコ  ………え?   間 カナコ  彼女に頼まれたノートなんて、この部屋にはどこにもなかった。      暑い夏の日。クーラーもない、やけに片づけられたこの部屋で、わたしの頬を涙が伝った。       Home inserted by FC2 system