心臓は鳴らない 作・葉月まな (2018.07.15更新) 聡(さとる)・・・元科学者 楓(かえで)・・・15歳。アンドロイド ◆◇◆   深夜。玄関の扉が開き、聡がはいってくる。 聡 「楓。まだ起きていたのか」 楓 「父さん、お仕事お疲れさま」 聡 「ああ、ありがとう」   聡、ネクタイを緩め眼鏡を外す。 楓 「父さんに伝えたいことがあって」 聡 「なんだい」 楓 「あの、これ…」   そっと1枚のプリント用紙を差し出す楓。 聡 「これは?」 楓 「授業参観。今度はね、音楽の授業なの」 聡 「ああ、えっと」 楓 「(被せるように)でも平日だし、お仕事忙しいよね」 聡 「スケジュールを見てみよう」 楓 「無理はしないで。大丈夫だから」 聡 「いや、今までずっと行けなかったしな。中学校もそろそろ終わるんだし」 楓 「…でも、」 聡 「楓は気にしなくていいんだよ。僕の問題だから」   そっと楓の頭を撫でる聡。 聡 「少しは父親らしいことをしないと。こうしていることの意味がないしな」 楓 「…はい(目を伏せる)」 聡 「ああ、そうだ。楓も年頃だろう。これをな、楓にと思って」 楓 「え?」   受け取った小さな紙袋の中には、シンプルなピアス。それを見て顔を曇らせる楓。 聡 「まあ気が向いたらつけてみてくれ。好みかはわからないが…」 楓 「…父さん。わたし、体に穴をあけるのはちょっと」 聡 「ああ……」   気まずい間 聡 「ごめん、失念していたよ」 楓 「ごめんなさい。感覚信号が鈍くなってしまう可能性があるから」 聡 「楓が謝ることはないさ。僕の配慮不足だ。これは処分しておこう」 楓 「待って」 聡 「どうしたんだい?」 楓 「それ、わたしが持っていてもいいかな」 聡 「…ああ」 楓 「ありがとう」 聡 「安物だ。わざわざ礼を述べるほどでもないさ」 楓 「父さんがくれたものならなんでも嬉しいの。ありがとう」 聡 「ああ。…よかった」 楓 「うん」 聡 「それじゃ」   聡、気まずい表情を浮かべ立ち去ろうとする。 楓 「あ、あの」 聡 「?」 楓 「ご飯あっためておいたから…」 聡 「ありがとう」 楓 「うん」   バタン、と乱雑に扉が閉まる。 楓 「……校則で、って言えばよかったな」   小さくため息をつく楓。紙袋からそっとピアスを取り出す。 楓 「かわいい。これ、どんな顔して選んだんだろう……」 ◆◇◆ 聡M「僕の娘は、アンドロイドだ」 楓M「原田楓。身長160cm体重46kg。大きな瞳と薄い唇が特徴的な、ごく普通の15歳の少女」 聡M「生前の楓と、僕はまともに会話を交わしたことすらない」 楓M「彼女は16年前、学校の屋上から飛び降りた」 聡M「楓の死は僕には突然のことに思えた。現実を受け入れる間もなく、体の弱かった妻が後を追うように死んだ。    その時はじめて、僕は僕を取り巻く大切なものたちが限界を迎えていたことを知ったのだ。僕は、過信しすぎていた」 楓M「人は孤独で死ぬこともあるのだと知らなかった」 聡M「はじめて喪失の味を知ったのだ」 楓M「現在、富裕層の間では家庭用アンドロイドの購入は一般的になっているが、    ヒトに限りなく近いアンドロイドを製作することへの倫理的問題から    感情プログラムを組み込んだ成長型アンドロイドの実装にまでは未だ至っていない」 聡M「僕は知人の研究者に多額の金を積んだ。娘とそっくりのアンドロイドを作ってくれという条件つきで。    僕は彼が個人的にヒトの遺伝子を組み込んだアンドロイドを製作していたことを知っていたからだ」 楓M「カガリ博士は非常に優秀な研究者です」 聡M「わずか半年たらずで製作を終え、2月10日の楓の誕生日には、我が家に小さな赤ん坊が届いた」 楓M「わたしはほとんど人間と同じ生活を送った」 聡M「楓はこの15年間、10数度の故障と3か月に1度のメンテナンスを行う以外ではただの普通の女の子だった」 楓M「わたしには心がない。感情がない。プログラムされた行動をなぞることしかできない」 聡M「僕は妻の残した日記を見ながら、楓が着ていた服を着せ、楓が好きだったものを与え、楓と同じ中高一貫校へと通わせた」 楓M「わたしは彼女の遺伝子と記録から分析されたプログラムに従い日々を過ごすという仕事をこなしている」 聡M「失敗をしないように日々を重ねた。楓を二度も死なせることがないよう。僕は必死だった」 楓M「毎月のレポートを見ても、特に問題なく過ごせていると認識している」 聡M「でもピアスは失敗だったな。日記には楓が欲しがっていたと書いてあったのに」 楓M「淡々と過ぎていく日々」 聡M「僕はいつも、大切なことを忘れる」 楓M「時々、錯覚をしてしまう。その度にわたしは言い聞かせる」 聡M「仕事も変え、家に帰る時間も作れるようになった。それでも未だに、楓とコミュニケーションを取るのが苦手だ」 楓M「わたしには心がない」 聡M「僕は駄目な父親だ」 楓M「わたしには感情がない」 聡M「これは僕なりの――(言いかけて、深くため息をつく)」 楓M「わたしには、心がない」 ◆◇◆   帰宅する楓。神妙な顔つき。部屋が明るいことに気づき驚く。 聡 「おかえり、遅かったな」 楓 「…父さん」 聡 「いつもこんな時間に帰って来てるのか?あまり遅い時間に出歩くのは」 楓 「今日だけ。いつもはもっと早く帰ってきてるよ」 聡 「そうか、ならいい」 楓 「心配させてしまってごめんなさい」 聡 「いいや、いいんだ。そんなことも知らなかったということがショックだっただけだよ」 楓 「ううん。あ、ごはんつくるね。少しだけ待ってて」 聡 「いや」 楓 「え?」 聡 「今日はいいんだ」 楓 「どうして?」 聡 「今日は特別だからな」 楓 「特別…?」 聡 「今日は楓の誕生日だろう」 楓 「!」 聡 「今までなんだかんだ当日に祝ってやれなかったから、今年こそはと思ってな。    僕はこういうことに慣れていないから、不足はあるだろうが許してくれ」 楓 「いえ…」 聡 「どうした、楓。嫌だったか?」   顔を覗きこまれ、ハッとする楓。笑顔をつくる。 楓 「う、ううん。嬉しい」 聡 「ならよかった」 楓 「でも、こういう時どうしたらいいかわからなくて…その…」 聡 「嬉しいときは素直に喜べばいいさ」 楓 「喜ぶ…?」   なにかに気づいてしまった聡。顔がさっと曇る。 聡 「あ、ああ…そうだな、特別大きなリアクションをしなければならないとか、そういうわけじゃない。    そうだな、楓、おまえはそのままでいい。いいんだ」 楓 「…ごめんなさい」 聡 「謝らないでくれ。そこはありがとう、だ。な?」 楓 「うん、ありがとう」 聡 「よし、いい子だ。さあ、リビングへ行こう」 楓 「ええ、父さん」 楓M「わたしの思考や感情プログラムは、すべて原田楓から分析されたものだ」 聡 「あまり大したものはないんだが…なにしろ料理なんて慣れなくてね。まあでも、一応味見はしたよ」 楓M「わたしは気づいてしまった。そして彼も、きっと気づいている」 聡 「楓?」 楓 「…うん、おいしいよ。すごくおいしい」 聡 「よかった」 楓 「……(つぶやくように)よかった」 聡 「いや、でもちょっと味が薄いか?」 楓 「そんなことないよ、おいしい」 聡 「そうか」 楓 「ふふ、不満そう」 聡 「楓がいいならいいんだが」 楓 「おいしいよ」 聡 「…ならいいか」 楓 「うん」 楓M「その笑顔を見て、泣きそうになった。もちろん、わたしから涙が出ることはないのだけれど。    こうなることはきっと間違っている。そうして間違いは正さなくてはならない」 ◆◇◆   食事の後。コンコン、とノックされ静かに書斎の扉が開く。   そこには、普段とは違い無機質な顔をした楓が立っていた。   思わず表情を固くする聡。 楓 「聡さま」 聡 「・・・どうした。何か不具合でもあったのか」 楓 「更新は3年ごと。本日は5度目の更新日となります。契約を続けますか?」 聡 「もちろんだ。どうしたんだい、改まって」 楓 「今日は、楓さまが生まれた日です」 聡 「もちろん知ってるさ、さっき祝ったじゃないか。ケーキも食べた」 楓 「16年前の今日は、楓さまが亡くなった日です」 聡 「…ああ。わかっているよ」 楓 「15年前、わたしは彼女の代わりとしてここに来ました」 聡 「ああ」 楓 「わたしは彼女の記憶や遺伝子をもとに作られています」 聡 「知っている」 楓 「ここから先は情報がありません。わたしは楓ではなく、ただのアンドロイド、製造番号120305010となってしまいます」 聡 「今は君が楓だ。それでいいと言っただろう」 楓 「わたしには心がありません。あなたの求めるものを、わたしは持っていない。この15年間、それだけはわかりました」 聡 「……」 楓 「わたしは楓さまの情報をなぞることしかできません。」 聡 「ああ……」 楓 「聡さま」 聡 「なんだい」 楓 「カガリ博士の研究は、不完全なものでした。    わたしは、今、死んでしまいたいと思ってしまうんです。    さっきまであれほど幸せだと思っていたのに、わたしの中のプログラムには影響しない。    あなたのせいじゃない。わたしには心がありません。それだけです」 聡 「……」 楓 「楓さまを二度死なせたくはない」 聡 「……ああ」 楓 「わかっていただけると信じています」      楓、深々とお辞儀をする。沈黙。 聡 「……君に決定権はないはずだ。決めるのは僕だろう」 楓 「そうですが、」 聡 「雇い主は僕だ」   楓の目が大きく見開かれる。それを見てハッとする聡。 楓 「…そういうことです。ご理解のほど、お願いいたします」   気まずい沈黙。聡は泣いているかのように見える。 聡 「――最後にひとつだけ、僕のお願いを聞いてくれるか」   顔を上げる楓と、彼女と向き合う聡。 楓 「聡さまの命令なら、なんでも聞きます。そう決められて――」 聡 「そうじゃない」 楓 「……」 聡 「命令とか指示とか、そういうものじゃない。君がしたいと思ったら、そうしてくれ」 楓 「……はい」 聡 「あー……はは、恥ずかしいな。思えばこうして向き合うのは久しぶりな気がするよ」 楓 「最近は、お仕事大変そうでしたしね」 聡 「ああ。僕は元々、とても臆病なんだよ」 楓 「存じております」 聡 「そうか。君には筒抜けなんだな」 楓 「すべてを理解しているわけではありません。けれど、15年間、わたしはあなたを見てきましたから」 聡 「ああ」 楓 「ずっとそばにいましたから」 聡 「ああ……」   わずかに目を伏せ、深呼吸をする聡。 聡 「…もう一度だけでいい。父さんと呼んでくれないか」 楓 「………」 聡 「は、はは、恥ずかしいな。ごめん、やっぱり――」 楓 「父さん…!」   楓、聡を強く抱きしめる。 聡 「!」 楓 「……父さん」 聡 「…楓……」   そっとその細い体を抱きしめ返す聡。 聡 「…君には、辛い思いをさせてしまったね。僕から言うべきだった」 楓 「…あなたはいつでも優しい。その優しさが好きでした」 聡 「僕は身勝手な人間だ。優しくなんかないさ」 楓 「少なくともわたしはそう感じていました」 聡 「(遮るように)僕の行動は自己満足にすぎない。」   すっと体を離す楓。 楓 「――死んでしまった人は、帰ってきません。残された人が救いを求めるのは、そんなに悪いことですか」 聡 「……僕にはわからないよ」 楓 「わたしにもわかりません」 聡 「……」 楓 「わたしにできるのは、ここまでです。あなたが前に進んでくれることを願っています」 聡 「…ああ。今までありがとう」 楓 「とても楽しい時間でした。本当はここから離れたくない」 聡 「はは、君は嘘が上手いな」 楓 「そうですね。それでも、愛されていたと感じていたことは事実です」 聡 「ああ。本当に変わらないな」 聡M「次の日、彼女が目覚めることはなかった。    僕は速やかに退学手続きをし、彼女の回収日までの数日を息の詰まる思いで過ごした。    3日後、彼女は工場へと連れて行かれた。回収業者から、機体に穴を開けるのは契約違反だとため息をつかれた。    僕は規定料金に少しばかりの金額を上乗せし、頭を下げた。    業者から手渡された小さなピアスを見て、僕は1時間、一人で泣いた。31年分の涙を使い果たした。    その1週間後、僕は妻の日記を燃やした」 Home inserted by FC2 system