「だいすきなひとのすきなひと。」前編  作・葉月まな ・安藤なつ(あんどうなつ)  18歳。BL漫画家(作画担当)。  素直すぎる性格をしていることを自覚している。 ・佐藤美鈴(さとうみすず)  21歳。BL漫画家(原作担当)。  好きじゃないものはうまく扱えるテクニックを持っている。 ・岡本裕子(おかもとゆうこ)  24歳。なつと美鈴の担当編集。  好きな人のお願いはなんでも聞いてしまうタイプ。 ・江原ひな(えはらひな)  24歳。裕子の同僚。  一見揺れやすく見えるが、意外と勘が良い。 ※大幅に偏ってはいませんが、なつとひなは被り可能。 ◆20XX年7月26日   なつ・美鈴のマンション。裕子が慣れた手つきで鍵を開け、そっと部屋を覗く。   リビングで作業に没頭しているなつを見つけ、くすりと笑いそっと後ろに忍び寄る。 裕子   なーつ! なつ   ・・・びっくりした。こんにちは、岡本さん。 裕子   進んでるー? なつ   ・・・あんまり見ないでください。 裕子   なーんか最近冷たいなあ。 なつ   そんなことありません。あとタメ口やめてください。   裕子、なつの向かい側に座りながら   裕子   なつったら、眉間に皺できちゃいそうだよ?  なつ   岡本さんは相変わらずですね。話しかけないでください。締切まで時間ないし。  裕子   嘘ばっかり。なつの仕事の早さは知ってるぞー?  なつ   なつって呼ばないでください。あと、わたし来週期末テストです。  裕子   あ、もうそんな時期かあ。どうりで暑いと思ったわ。  なつ   岡本さんは・・・ずっとスーツなんですね。そりゃ暑いですよ。  裕子   ま、一応会社員ですから?  なつ   へえ。大変ですね、会社員って。  裕子   まあね。でもこうやって、クリエイティブなことやってるすごい人たちと出会えるしさ、最高よ?  なつ   ・・・へえ、それはよかったです。  裕子   なつと美鈴のこと、ほんっとうに尊敬してんだよ?あたしにはそういうのできないしさ。  なつ   尊敬してるなら、ちゃんと一漫画家として扱ってください。  裕子   えー!扱ってるよーお?  なつ   敬語。呼び捨て。距離感。どう考えても友達のそれですよ、岡本さん。  裕子   んもー、なつは最近つっめたいなあ。テスト前だから苛々してる?  なつ   いつも通りです。    そのとき、美鈴が帰宅する。元気よくリビングの扉を開け入ってくる美鈴。 美鈴   ゆっうこちゃーあん!    美鈴、座っている裕子に後ろから抱きつくように目隠しをする。 裕子   おわっ?!  美鈴   あはははっ、だーれでしょ!  裕子   美鈴!  美鈴   えへっ、あったりぃ!さすがは裕子ちゃん!  裕子   おかえり。いいプロット浮かんだ?  美鈴   もーバッチリ!おいしいチーズケーキとミルクレープでお腹がいーっぱいだよー  裕子   アリア?  美鈴   そ!アリア!  裕子   あそこのチーズケーキは絶品だよねー  美鈴   めちゃくちゃおいしかったあ!店員さんも美形揃いだし、思わず長居しちゃったよお。 なつ   ・・・ちょっと、佐藤さん。  美鈴   およ?なっちんご機嫌ななめ?  なつ   (ため息)プロット、見せて下さい。  美鈴   うーん?  なつ   プロット書きにいってくるって言って出て行ったんでしょう。だからプロット、  美鈴   なーっちん?  裕子   おわっ!    美鈴、裕子の首のあたりを後ろからぐいっと抱きしめ、なつに向かって小首をかしげる。 美鈴   プロットっていうのはねえ、そんな簡単にポンポン出てくるものじゃないんだよお?ねー、裕子ちゃん。  なつ   ・・・!   なつ、ガタッと立ち上がる。 裕子   ?  美鈴   あれぇー、どうしたの、なっちん!  なつ   外出てきます。ここじゃうるさくて進まないんで。 裕子   あ、ごめんね。あたしもう帰るよ、そろそろ会社戻らなきゃだし。 美鈴   えー、裕子ちゃんもう帰っちゃうの? 裕子   美鈴もちゃんとやんのよー? 美鈴   ふふん、美鈴が締切破ったことある? 裕子   ない。 美鈴   でしょ? 裕子   ま、いつもギリギリだけどね。 美鈴   まあねん!あ、なーっちん、どこ行くの! なつ   外に行ってきます。 美鈴   裕子ちゃん帰るって言ってるじゃん。   なつ、美鈴を軽く睨み付け なつ   甘いもの、食べたくなったんで。 裕子   あ、じゃあ途中まで一緒に行こうよ。なつもどうせアリアでしょ? なつ   今日は、 裕子   んじゃ美鈴、またね! なつ   え、ちょっと、岡本さん・・・! 美鈴   ばいばーい、裕子ちゃーあん!   裕子に引きずられるようにして外に出るなつ。不服そうな顔をするものの、その頬は少し赤くなっている。 なつ   ・・・強引すぎます。 裕子   あはは、ごめんごめん。 なつ   ごめんなんて思ってないくせに。 裕子   なんか、なつ辛そうだなって思ってさあ。なんとなーく、だけどね。 なつ   え? 裕子   っていっても、なつはあたしなんかに話してくれないんだろうけどさ!でもいてもたってもいられなくなっちゃって!   あはは、と笑う裕子から目を逸らし唇を噛み締めるなつ。それにまったく気づかない裕子。 なつ   ・・・ずるい。 裕子   ん?どうした? なつ   ・・・なんでもないです。 裕子   今絶対なにか言ったでしょ!なになに!どうしたの? なつ   なんでもないです! 裕子   なあにー?教えてよー! なつ   もう、岡本さんしつこいです。 裕子   なつは素直じゃないからなー! なつ   岡本さんほどじゃありませんよ。 裕子   へ?あたし? なつ   今日の佐藤さん、すごく甘ったるいにおいがしました。 裕子   ・・・ああ。 なつ   佐藤さんが香水つけないこと、岡本さんなら知ってますよね。 裕子   そうだね。ボディクリームですら嫌がるもんね。 なつ   そういうことですよ。 裕子   わかってるよ。さすがにあたしもそこまでバカじゃないしね。 なつ   いいんですか。 裕子   よくはない、かなあ。でも、しょうがないでしょ? なつ   ・・・そうですか。 裕子   っていうか、なつに気づかれちゃってたんだ!あたしもまだまだだなあ!   そう言って笑う裕子を見て、また唇を噛み締めるなつ。じわりと血の味がする。 なつ   (ぼそっと呟く)・・・裕子さんのこと見てれば、すぐわかりますよ。 裕子   ん?なあに? なつ   なんでもないです。 裕子   そ? なつ   (深いため息)じゃ、わたしこっちなので。 裕子   うん!今日はありがとね。まったね! なつ   はい。またよろしくお願いします、岡本さん。 なつM  別れたふりをして、そっと彼女の背中を見送る。      ・・・裕子さん。小さくつぶやくと、頬が熱くなる。      ごめんなんて言わないで。わたしが苦しいのは裕子さんのせいだよ。      わたしなら裕子さんに我慢なんかさせない。わたしなら裕子さんを幸せにできるのに。      ほんっと、わたしの気持ちなんか1ミリも気づいてないんだ。裕子さんは。      佐藤さんは、裕子さんの気持ち全部わかってて、ああいうことしてるのに。      ・・・こんなことで、こんな風になってしまう自分が悔しい。でもやっぱり、好きだ。   ◆20XX年7月17日   居酒屋。仕事終わりの裕子とひながにこにこと談笑している。 裕子   来ました金曜日!今日は飲むぞー!  ひな   わーい!食べるぞー!  裕子   とりあえず、  二人   かんぱーい!  裕子   あー、おいしい。しっみるなあ。 ひな   最高。あーもう、ここの〆鯖最高ー!  裕子   エイヒレも最高! ひな   あー最高。岡本ちゃんのチョイス最高!さっすが出世頭!  裕子   関係ないでしょ!居酒屋メニューなら江原のほうが詳しそうだけどね? ひな   意外と知らないんだよなあ。岡本ちゃんとこうして飲むときくらいしか居酒屋なんてこないもーん。  裕子   へぇー、意外だなあ。社内でも呑兵衛で通ってるくせに。  ひな   全然強くないのにねー、好きなだけなのにさあ。  裕子   あはは、でも家でも飲んでるでしょ?  ひな   うーん、簡単におつまみつくってなるちゃんとたまに飲むくらいだよ?  裕子   お家飲みデート?  ひな   お家飲みデート。そのあといちゃいちゃできるし、最高。  裕子   人の目気にしなくていいしね。  ひな   そうそれ!いくらでもちゅーできるの!  裕子   あはは、江原んとこは、もう5年なのにすごいラブラブっぷりだよね。  ひな   そうかなあ?   でも、一緒の部屋にいてもずっとべったりしてるわけじゃないし、      デレデレするときもあるけど、それ以外は案外さっぱりだよ?お互い一緒にいたいときに一緒にいる、ってかんじだし。  裕子   いいじゃん。夫婦みたい。 ひな   あながち間違ってないんだよなあ。もはや一緒にいないことが考えられないっていうか。  裕子   出ましたノロケ。  ひな   だーってなるちゃんとのこと打ち明けてるの岡本ちゃんだけなんだもん!許して!  裕子   あはは、いいよいいよ。聞く聞く。  ひな   ありがと!この間ねー、っと言いたいところですが!  裕子   お?  ひな   今日誘ってくれたのには理由があるんでしょ?  裕子   あー  ひな   すんごーい難しい顔して、今週の金曜日空いてる?なんて言うから      もう、一体何があったんだろーって月曜日からずーっと考えてたんだよー!      最近の岡本ちゃん、どことなーく元気ないしさ。  裕子   あはは、そうかなあ?  ひな   そうだよ。まあ、わたしから見てそう見えることがあるってだけだから、違ったらごめんね。    少しの間。裕子、グラスに残った酒をぐっと一気に飲み干す。 裕子   今日はね、江原に紹介したい人がいるんだ。  ひな   紹介?  裕子   あたしの、    その時、裕子の携帯が鳴る。 裕子   あ、ごめんちょっと。(電話に出る)      ん、美鈴?おー、オッケー、今迎えに行くから入口で待ってて。・・・あはは、来ちゃった。行ってくる!  ひな   あ、うん!待ってるよ。    裕子、席を立つ。その背中を見送ったあと、自身の携帯をチェックするひな。 ひな   ・・・きてない、よねえ。   小さくため息。その横顔は、どことなく寂しげ。 美鈴   こーんにっちは?  ひな   へっ?!    突如、耳元で甘い声がする。ぱっと携帯の画面から顔をあげると、そこには無邪気な笑顔があった。 美鈴   あ、間違えちゃった!こんばんはだあ、20時だもんね!  ひな   え、っと?  裕子   ただいま、江原。  ひな   あ、岡本ちゃん!ってことは、  裕子   そう、この子がさっき言ってた、わたしの、  美鈴   佐藤美鈴、21歳!女子大生と思いきや、新人BL漫画家でーす!  ひな   さとう、みすず・・・?    聞き覚えのある響きに小首をかしげ、少し考えた後、 ひな   あ!うちの・・・!って、もしかして岡本ちゃんの?  裕子   そ!最近推してるあたしの担当作家さん!  ひな   へえー、若いとは聞いてたけど、ほんっとに女子大生なんだ!ぴっちぴち!  裕子   こっちはあたしの同期の江原。  ひな   江原ひな、24歳OLでーす!よろしくね!  美鈴   ひなさん!よろしくお願いしまーす!  ひな   やーん、かわいいなあ!キラッキラしてる! 美鈴   えへへ、そんなことないですよお? ひな   や、モテるでしょ?美鈴ちゃん。 美鈴   そ、れ、が、モテなくって困ってるんですよー! ひな   うっそだー!こんなにかわいいのに!ね、岡本ちゃん! 裕子   え?あー、うん。 ひな   だってわたしが男だったら絶対好きになっちゃうもん!かわいーい! 裕子   え? 美鈴   もー、ひなさんったら持ち上げすぎ! ひな   へへ、本心だもーん。 美鈴   あれ、裕子さんグラス空いてるじゃないですか。なにか飲みますー? ひな   あ、ほんとだ。そういえばさっき一気にぐいっといってたもんね。 美鈴   ・・・裕子さん? 裕子   へっ?なに? 美鈴   グ・ラ・ス!空いてますよ? 裕子   ああ。カシオレよろしく。 美鈴   はあい、ひなさんは? ひな   わたしはねー、熱燗! 美鈴   いきますねー! ひな   明日お休みだからね! 美鈴   やった、じゃあ今日はいーっぱい飲めますね? ひな   でもわたし弱いから、お手柔らかにねっ?   初対面にも関わらず和気あいあいとした二人を見て、すこし複雑な裕子。 裕子   ・・・ごめん!あたしちょっと煙草。 ひな   あ、了解!気を付けてねー 美鈴   いってらっしゃあいー   裕子、席を立ち店の外へ。深呼吸。 裕子M  彼女の家以外の場所で、彼女に会う口実が欲しかった。でも、さすがにデートに誘う勇気はなくて。      だから、精一杯の勇気を振り絞って誘った今日の女子会。      江原だったらうちの編集部の同僚だし、美鈴に紹介する理由にもなると思った。      そうやって言い訳を重ねて、やっと会えたのに・・・バカだな、あたし。      美鈴が他の人と話しているだけで、胸の奥が熱くなってしまう。         今まで気づかなかったけど、あたしって結構やきもち妬きなんだな・・・   ポケットの煙草に手をかけ、ぐっと我慢する。    裕子   煙草はやめよ。せっかく禁煙成功したんだし。こんなことで、ね。うん、我慢我慢っと。がんばれあたし、大丈夫。   ――その頃、店内。 ひな   珍しいなあ。 美鈴   なにがですか? ひな   岡本ちゃん、がんばって禁煙したんだよ。税金あがるし、いいことないからって。      ヘビースモーカーだったから、やめるの大変そうだったし・・・ 美鈴   へー、知らなかったあ。 ひな   また吸い始めたなんて知らなかったな。先週飲みに行ったときも吸ってなかったし。なんかやなことあったのかなあ。 美鈴   先週も?仲良いんですね、裕子さんと。 ひな   そうだねー、部署は違えどなんだかんだ同期だし、飲み友だしね! 美鈴   ひなさんって、酔っぱらうとどうなっちゃうタイプ? ひな   えー、そうだなあ、スキンシップ多くなるかなあ。 美鈴   甘えちゃうんだー? ひな   うん、ベタベタしちゃうし。飲みすぎると岡本ちゃんにうざがられるから、ちゃーんとセーブして飲んでるよ。 美鈴   ふふ、いいなあ。酔っぱらってるひなさん見てみたーい。 ひな   いやあ、ほんっと面倒くさいよ!やめてやめてー! 美鈴   そうですかあ?年上のお姉さんが甘えてくるのって、美鈴めちゃくちゃかわいいと思うなあ。 ひな   美鈴ちゃんうまいなあー、でもだめ。 美鈴   えーなんでー?明日お休みでしょー? ひな   さすがにね、迷惑かけるお酒の飲み方は大学生でやめたの! 美鈴   ふーん、残念だなあ。 ひな   社会人にもなるとそんな醜態晒せないよー 美鈴   ひなさんって、真面目なんですね。 ひな   そんなことないよ。岡本ちゃんのほうがずーっと真面目だし努力家だよ?同期イチ! 美鈴   へえー ひな   かっこいいよねえ、岡本ちゃん。 美鈴   美鈴には、ひなさんのほうがずーっと魅力的に見えますよ? ひな   あはは、またまたぁ。 美鈴   ほんとなのに。 ひな   んもう、末恐ろしい子だなあ。   満更でもないように照れ笑いするひなをみて、にっこりと怪しげに笑う美鈴。 美鈴   ひーなさん。 ひな   へ? 美鈴   あーん。 ひな   んっ 美鈴   ふふ、おいしー? ひな   (咀嚼して)ん、おいしい。 美鈴   ひなさん、かーわいいなあ。   裕子、戻ってくる。ベタベタしている二人の姿を見てドキッとする。 裕子   ・・・ちょ、なにやってんの? 美鈴   えー、なにって、あーんってしてただけですよ? 裕子   なに、江原もう出来上がってるの? ひな   えー、そんなことないよ〜、まだ全然。 美鈴   あっ、裕子さんヤキモチー? 裕子   違うよ、バカ。 美鈴   裕子さんにも、あーんってしてあげましょうかあ?あーん! 裕子   いいよ、あたしは。キャラじゃないし。 美鈴   素直なほうがかわいいのになあ。ね、ひなさん? ひな   え?岡本ちゃんはかわいいぞー? 美鈴   うーん?ひなさん、はい、あーん! ひな   んん?あーん。 裕子   ・・・ごめん、あたしちょっと。 美鈴   えー、裕子さん、また煙草? 裕子   違うよ、お手洗い。ごめんごめん。   耐え切れず、俯いたまま笑顔を貼り付けて席を立つ裕子。   そんな裕子を見てくすっと笑い、そのあとをつける美鈴。裕子は苛立っており、美鈴に気づかない。   そのまま店の外に出て、遂に煙草に手を出してしまう裕子。 裕子   (煙草を深く吸う)はー・・・だめだ、あたし・・・ほんっとバカ・・・ 美鈴   ほんと。でも裕子ちゃんのそういうとこってすっごいかーわいい。 裕子   ッ?!美鈴ッ??!   美鈴に声をかけられ、動揺を隠せない裕子。 美鈴   あはは、後ろからずーっとついてきたのに、全然気づかないんだもん!裕子ちゃんってばどんかーん! 裕子   あ、ああ・・・ 美鈴   裕子ちゃん、煙草やめたんじゃなかったの? 裕子   まあ、ね。やめたつもりだったけど、なんだかんだ禁煙って難しいよねえ。 美鈴   嘘ばっかり。 裕子   ! 美鈴   裕子ちゃんが禁煙したのって、美鈴が煙草嫌いって言ったから? 裕子   ・・・そうかもしれないね。 美鈴   美鈴ね、裕子ちゃんが美鈴のこと好きかもってわかってて、ああいうことしちゃった。ごめんね。      それでも裕子ちゃんは、美鈴のことがすき?   少しの沈黙。美鈴から目を逸らし、手の中のライターをぐっと握りしめる。 裕子   な、に言ってんの!あたしは美鈴のこと大好きだよ。なつも、江原も、同じくらい好きだよ! 美鈴   へえー、・・・・・・白ける。 裕子   え? 美鈴   美鈴、先に席に戻ってるね。ひなさんほったらかしだし。 裕子   美鈴―― 美鈴   じゃあね、裕子ちゃん。   美鈴、去る。一人取り残される裕子。しばらく呆然とした後、そっと二本目の煙草に手を伸ばす。 裕子   (深く息を吸って、ため息)そんなの、なんて返せばいいのよ・・・ ◆20XX年8月10日   夜。美鈴との約束のためマンションへやってきた裕子。だがそこには美鈴の姿はなく。   あれ、と思った瞬間美鈴から電話が掛かってくる。    裕子   もしもし、美鈴? 美鈴   やっほー、裕子ちゃん!美鈴だよ〜!   なつ、裕子がやってきた気配を察知しリビングへ入ろうとするが、裕子の声を聞き立ち止まる。 裕子   美鈴?あたし今美鈴の家にいるんだけど―― 美鈴   あれー、今日だっけ?ごめんねぇ、裕子ちゃん。美鈴、今外なの〜 裕子   あ、そうなの?いいよいいよ、急用? 美鈴   きゅうよう?・・・うーん、そうだなあ、そうかも! 裕子   じゃあしょうがない!気にしない気にしない! 美鈴   裕子ちゃんは優しいなあ、大好き! 裕子   あはは、ありがと。 美鈴   でねー、今美鈴ちょっと困っててね? 裕子   ん、どうしたの? 美鈴   ひなちゃんがね〜、酔っぱらっちゃってバタンキューしちゃったんだけどね〜? 裕子   ひな? 美鈴   美鈴、あんまりお酒飲んだことないから介抱ってどうしたらいいかわかんなくてね? 裕子   え、今一緒にいるの? 美鈴   うん!そうだよー 裕子   へえ・・・居酒屋かどっか? 美鈴   ううん、ひなちゃんのお家だよー。タクシー使っちゃった! 裕子   そうなんだ。 美鈴   あ、ひなちゃ、あーーーもう、ちょっと、だめだよ〜、あっ! 裕子   大丈夫・・・? 美鈴   んー、ちょっと一旦切るね!ごめんね裕子ちゃん、またねー! 裕子   あっ、美鈴・・・   ブチッと切られる通話。ため息をついて俯く裕子。何食わぬ顔をして声をかけるなつ。 なつ   ・・・岡本さん。 裕子   あ、なつ。おかえり。 なつ   来てたんですね。この間原稿あがったばっかりなのに。 裕子   うん、今日は様子見。あと、これ・・・   力なく笑い、紙袋を差し出す裕子。 なつ   パブロのチーズケーキ・・・ 裕子   美鈴がこの間食べたいって言ってたからさ、ついでにね。意味なくなっちゃった。 なつ   ・・・・・・ 裕子   あ、でもこれ、ほんとに美味しいから、きっとなつも好きだよ。ね、せっかくだから食べよ。勿体無いし。 なつ   岡本さんが、そうしたいなら。 裕子   あはは、今日のなつは優しいなあ。 なつ   優しくなんかないです。・・・お皿、持ってきます。 裕子   ありがと。   なつと裕子、テーブルに並んで座りチーズケーキを食べる。 裕子   おいしい? なつ   あ、はい。おいしいです。 裕子   そっか、よかった!買ってきたかいがあったなあ。   言いながら、裕子の頬を一筋の涙が伝う。 なつ   ・・・バカみたい。 裕子   え? なつ   そんなに辛いなら、なんで佐藤さんのこと好きでいつづけるんですか。わたしにはわかりません。 裕子   あはは、わたしはそういうの全部わかってて、美鈴のことが、   言いよどみ、一呼吸おいて 裕子   好きなんだよ。 なつ   それでも、辛いんですか。 裕子   それとこれとは話が別だよ。わかってても、辛いものは辛いし、痛いものは痛い。あたし、強くないからさ。 なつ   ・・・・・・ 裕子   でも、強くなんなきゃいけないんだよね。美鈴のこと好きでいるってそういうことだから。 なつ   強くなれるんですか。 裕子   なるんだよ。   潤んだ瞳でにっこり笑う裕子を見て口をつぐむなつ。少しの間。 なつ   ・・・岡本さん。煙草。 裕子   あー・・・あはは、気づかれちゃってたか。なつはなんでもお見通しだなあ。 なつ   においですぐにわかります。 裕子   そんなもんか。すごいな。 なつ   ・・・それほど、岡本さんにとってキツイってことなんじゃないんですか。 裕子   別に、フツーに我慢できなくなっちゃっただけだよ。 なつ   そんなはずない。岡本さんは一度決めたことは絶対にやり通す人だって、わたし知ってます。 裕子   ・・・そういう性格、やんなるときもあるよ。あたしだってさ。 なつ   ・・・ッ!   なつ、衝動的に乱暴に裕子を抱きしめる。   腕に引っかかったのか、なつ側の皿が食べかけのチーズケーキと共に床へ散乱する。 裕子   なつ・・・? なつ   裕子さん・・・好きです。ずっと好きでした。わたしは優しくなんかありません。      裕子さんのこと気遣うフリして、わたしのものになってほしいって、      佐藤さんのこと諦めてくれないかなって思って、言いました。 裕子   なつ―― なつ   佐藤さんのことを好きな裕子さんのままでいいです。今はそれでいいから、わたしと付き合ってください。      わたし、絶対に佐藤さんなんかに負けないです。約束するから。   沈黙。やがて、そっとなつの体を抱きしめ返す裕子。 裕子   ・・・そんなこと、言わせてごめんね。   すっと体を離し、裕子を見つめるなつ。 なつ   笑ってください、裕子さん。わたし、裕子さんの笑顔が好きなんです。 裕子   ・・・うん。ありがとう、なつ。 なつ   ねえ、なっちゃんって呼んでくれませんか。 裕子   え? なつ   裕子さんにそう言われるの、夢だったんです。 裕子   あはは、かわいい。 なつ   ねえ、裕子さん。気持ちはなくてもいいから、好きって言ってください。嘘でいいから。 裕子   ・・・・・・好きだよ、なっちゃん。 なつ   わたしも大好きです、裕子さん。 ←Home 中編→ inserted by FC2 system